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干上がっていたのです。私とコーディネーターとうかがったところ、何も話すことはない。何をしにきたのかといわれました。私は、あなたの話を聞きにきたのではなく、午後のひと時を一緒に過ごしにきたといいました。心が溶けてきたのか、少しずつ話の糸口が見え始めてきました。そこで質問ですが、聞くということの大切さを教えてほしいと思います。

Bertman 目を使ってもよく聞くことができると思います。何について耳を傾けなげればならないかということもそれで明らかになると思います。時を共に過ごすためにきたというその沈黙もやはり何らかの意味があると思います。沈黙もコミュニケーションでありうるわけです。時々、感情を言葉で表せないときもあるかと思います。聞くということにはいろいろなやり方があります。先ほどもいわれましたが祈るということもありますし、あるいはそこにいるということを共有する、時間・空間を共有することもできると思います。そこにだれかがいることを知るということです。背中をさするということもあります。
悲しみにひたる人であったならば文化から学ぶこともたくさんあると思いますが、いちばんいい方法は、その人が悲しんでいる空間に侵入しないということで、泣きたいなら泣く空間を与えるということです。
もうひとつ加えますと、耳を傾けるということは若い医学生にはむずかしいことなので、そういう教育訓練をするということも大切だと思います。
ボランティアはときに、患者が意味を見つける上の助けをしているのです。自分たちの人生に意味があったということを話しながら確認していくこともできると思います。何をしたいかということも、話しながら明らかになると思いますので、一生懸命聞くということはたいへん素晴らしいことだと思います。
岡安 Bertman Kastenbaumの両先生のご意見をいただきたいと思います。
Bartman ケアといった場合、私たちすべては伝統的なモデルからホーリスティックなモデルヘと移ってきたと思います。問題の方向づげですが、疾病を生物学的な事象として据えるのではなく、人間におこる事象であると捉えて、ケアを提供する人の役割は、医師は権威ではありますが、しかし、医師と患者が協力する、同じ目線をもっているということです。患者がもっと活発に情報を入手することは素晴らしいことですし、またチームの中のケアを提供する人は私的な感情を移入する形でコミュニケーションをするということ、それから治療の面では癒すというのが目的であると思います。正常な環境で治療は行われなげればならないのですが、私はナースではないのでそれほど厳密ではないかもしれませんが、ピースハウスでみられたように花がある。家庭的であるという暖かい環境を整えるのはなかなかむずかしいとは思いますが、Ms.Kastenbaumがいっているように、組機におけるケアというのは医師だけではない、あるいは病院だけのものではない、もっと患者あるいは家族に向けて、デリケートな配慮が必要というところにつながっていくものだと思います。みなさんの文化の中から全人的なケアを提供できるということを、期待して見ていることにします。全人的ケアはアメリカ人にとってはどういう意味があるのか、ヒスパニック系の人、アジア系の人それぞれに検討しなければなりませんし、日本という文化的背景の中ではどうなのかということもうかがいたいと思います。
B.Kastanbaum 日本では教育訓練としてどういうことをしているか、ホスピスなどの緩和ケアではみなさんがリーダーになる、ナースの貢献が多大であると考えています。全人的なケアではナースが指導的な活動をすべきですし、精神性が重要であることはまさにその通りで、みなさんはいろんなコースで学び、宗教者が関与することも大きなプラスになるのではないかと思います。
岡安 まだ発言したい方がおられるかと思いますが、午後の総括討論の時間にぜひお話しいただきたいと思います。ありがとうございました。

 

 

 

 

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